大島は、こんなこともあろうかと予備予算を確保していた。浦田は、この予算でOBFの支援を引き受けることになった。
コンサルタントが顧客に受け入れられるのは簡単ではない。特に日本の製造業はよそ者には閉鎖的だ。いきなり「ああしろ、こうしろ」とやったら、それこそ修復不能な亀裂が生じかねない。
こういう時は、OBFの生い立ちやこれまでの活動内容、その結果わかったことなど、先方が話しやすい内容をテーマにするに限る。今回もこの手を使った。浦田は、OBFを代表して説明してくれる笠間の話に黙って耳を傾けた。手元のパソコンでは、浦田の口から出たキーワードだけでなく、疑問点やアイディアを器用に書き込んだ。笠間の説明は論理的でわかり易かった。構造化は不十分で文字の羅列が中心だったが、閉鎖的な経営陣、ビジネス意識の低い現場、OBFの問題意識などは頭にすっと入ってきた。
手元のメモには「受け身のビジネス」「商品企画なし」「海外経験ゼロ」「危機感の欠如」「制御ソフトウェア」「汎用工作機での代用」「近畿工作機はお山の大将」「競争市場では生き残れない」などの文字が書かれていた。
ひと通り話を聴いた後、浦田はしばらく黙って画面を眺めていた。気前が悪かったのか、村山と中本もしゃべり始め、しばらくするとOBFメンバーの座談会のようになっていたが、その会話には、彼らの本音や解決のヒントが含まれていた。
同じ話題が何度も出始めると、浦田は「なるほどね」と割って入った。そして「Pull型」と「Push型」の話を始めた。彼らの共感を得るには最適なテーマだと考えたからだ。
Pull型とPush型は、案件の発掘方法に着目した場合の事業分類である。Pull型とは、受動的に引き合いを待ってそれに対応する型のことで、これとは逆のPush型は案件を能動的に獲りに行く。事業がPull型とPush型のどちらを選択するかによって、市場におけるターゲット顧客の選定方法、顧客との関係構築方法、提案までの流れ、提案内容といった観点からも、競争優位性の観点からも、組織の備えは全くの別物になる。
例えばPull型では市場分析からのマーケットセグメンテーション(市場をどのようにセグメンテーションすればいいかを決めること)に始まり、商材や技術の棚卸し、競争優位性やコアコンピタンスの明確化、ターゲット顧客の絞り込み、自分たちが顧客に選ばれる理由(「顧客はなぜ私たちを選ぶのか」)の発掘、顧客との関係構築を通じた選ばれる理由の刷り込みへと続く。Push型では、提案が最大のイベントではない。大切なのはマーケットセグメンテーションから続く一連の活動すべてであり、最大のイベントは、選ばれる理由を刷り込む「顧客との関係構築」のシーンである。
現在の商材を維持することを前提に市場を能動的に拡大しようと思えば、Push型では積極的にターゲット顧客の範囲を拡大し、それに呼応するかたちで後続のプロセスや組織体制に手を加えることになる。事業拡大に直接的に作用することが可能なわけだ。ところがPull型では知名度やブランド力のアップを進めることになるだろうが、Push型と比べたらやはり消極的で間接的と言わざるを得ない。
Push型とPull型の話は難しい。浦田はわかり易い事例を交えつつ、ひとつひとつ、ゆっくりと笠間たちに語り掛けた。
話の最後に浦田は、Push型に必要な能力や仕組みは今の小野寺工業には備わっていないと告げた。
小野寺工業は優秀な組織ではあるがゆえにこれまでのやり方、つまりPull型に最適化されていた。裏を返せば、Push型には最も遠い位置にあった。
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[場当たり的な後藤部長の思考]
案件なんて、来たものに対して全力で対応すればいい。私たちの積み上げてきた実績や、莫大な投資で生み出してきた技術は伊達じゃない。私たちを必要として引き合いをくれる顧客は必ずいる。その案件に全力投球して、全部獲ればいい。待っていればいいのだから、一番効率がいいじゃないか。
これまでもそうだったし、それはこれからも変わらないよ。事業運営の厳しさを挙げて云々言う人たちもいるが、それは一時的なことだ。 そんなことより、いかにそれらの引き合いに応えるか、それを磨き上げなければならない。顧客の期待に応え続けることができなければ、私たちに未来はない。
[本質に向き合う吉田部長の思考]
事業運営が厳しいのは、勝率の低さと厳しい価格競争のせいだ。引き合いに依存しているだけでは、これも仕方ない。待っているだけなので売上が伸びないのは当たり前だ。なんでも取りに行くから、それがリソース不足に拍車をかけている。
事業を伸ばすにはターゲットを絞り、その市場で勝てる実力をつける必要がある。絞り込んだ市場で勝ち組になるのはたやすくはないが、これに挑戦しなければじり貧で終わってしまう。どの顧客セグメントに絞り込むか、そこでどうやって勝つかについては皆で議論しよう。今の私に言えることは、顧客にとって「代わりのいない存在」になる必要があるということ。顧客が私たちを選びたくなる、そんな理由が必要だということだ。その理由を顧客の中に浸透させることが重要で、それができなければ、いくらターゲットを絞り込んだところで、いずれは価格競争に巻き込まれてしまう。
[ポイント]
案件の発掘に着目すると、事業は「Pull型」と「Push型」に大別できる。この両者の違いを箇条書き形式で解説する。
Pull型事業とは引き合いに応じるだけの事業であり、Push型事業とは、自ら顧客開拓や案件発掘を行う事業である。
Pull型の案件は色付きの場合が多い。色付きとは、先行する競合他社が自分たちに有利になるような刷り込みを顧客に行った後の状況を指し、このような案件は「当て馬」の可能性が高く、勝率は極めて低い。Push型では、案件初期もしくは案件化される前に自分たちから働きかけを行うので、このようなことにはならない。
Pull型とPush型では組織の構えが違う。Pull型は大きく構えて「来るものは拒まず」が基本だが、Push型はそうはいかない。手当たり次第に攻めていたのでは勝率は上がらず効率が悪すぎる。
Push型では自分たちの事業特性や事業方針、強みに合ったターゲットセグメントに絞り込むことになる。準備段階として、市場をどうセグメンテーションして捉えるかが重要になる。Pull型は広く構える分だけ経営資源が発散するし、コアコンピタンス(=顧客に選ばれる理由であり、簡単に真似されることがない強み)が育ちにくい。それに対し、Push型は戦略的に小さく構えるので投資効率が高くコアコンピタンスを育みやすい。
Pull型は顧客要求にいかに応えるかが大切で、そのための技術力や個別対応力が欠かせない。これに対し、Push型は市場分析、顧客観察、商品企画が大切になる。
Push型では、顧客に切り込むには商品ロードマップや技術ロードマップなども欠かせない。いわゆるビジネス上流の能力や仕組みが必要になる。Pull型は受動的なので、このようなことは必要ない。
Pull型の場合は、単なる製品説明のような提案書や受け身の提案書でよかった。ところがPush型の場合は、それでは勝てっこない。顧客は何に困り、どんな課題を抱えているのか、それに対して自分たちはどんな価値を提供できるのか、なぜ自分たちが選ばれるのか、これらが提案のポイントになる。
Pull型の競争に勝つには、技術力もさることながら価格競争力が大きな影響力を発揮する。これに対し、Push型では価格競争に終始することにはならない。「ならない」というよりは、そうならないような働きかけを行う。そのため、価格以外の要素が「選ばれる理由」になることが多い。ただし、Push型だからといって価格競争力が必要ないわけではない。「選ばれる理由」に十分になり得るからである。機器や部品の共通化や流用化、コスト適正化設計、競争購買などの原低活動は、Push型でも欠くことができない。
これまではPull型でやってくることができた事業は、海外事業の立ち上げや急激な事業拡大を目指す中で、Push型への転換を迫られる場合が多い。これはビジネスモデルの変更に相当する大変革だ。ところが経営陣は自らの認識不足から、これを極めて安易に捉えてしまっていることが少なくない。いざビジネスモデルの変更に着手してしばらく経ってから事の重さに気付くのである。そうなってしまってからではすでに遅い。事業計画は実現性を失い、事業は迷走することになる。
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