小野寺工業のチャレンジ

幾多の障壁を乗り越えて新事業開発に取り組む、メンバーとコンサルタントが織りなすドラマです

コンサルタントは潤滑油であり、改革を成功に導いたのは「会社への深い愛情」と「不退転の覚悟」だった

笠間たちのアプローチは功を奏した。一時は低迷した海外事業はかつての活気を取り戻し、プラス成長へと転じた。

 

大島は、笠間と浦田を銀座の小さなイタリアンレストランに招待した。オーナーシェフとその家族で経営するこの店は、大島の30年来の行きつけだった。常務となった今でも飾り気のないこの店を選ぶ大島の人柄に対し、笠間は安心を感じた。

 

「やっとこの日が来たね…長かったような、短かったような。二人ともよく頑張ってくれた。お疲れ様でした」

 

ワイングラスが交わる柔らかな音がテーブルに響いた。

 

大島が浦田と知り合うきっかけになったプロジェクトの話に始まり、今回の件で浦田に声を掛けたときの思いなどが大島の口から語られた。笠間たちの活動を常に気にかけていたことを、大島は嬉しそうに話した。

笠間は「これからですから」と口にしてはいたが、その表情は「やり遂げた男」のすがすがしさに溢れていた。

 

3人が席に着いてから1時間ほどで2本目のワインボトルが空になり、次のワインが運ばれてきた。注文していないところを見ると、これが大島とこの店との阿吽の呼吸らしい。

 

そんな中、大島は少し身を乗り出し、ふたりの顔を交互に眺めながら言った。

 

「成功要因は何だったのかね?」

 

笠間と浦田は一瞬顔を見合わせ、笠間は浦田に話すようにと目配せした。

 

「私が思うに、ポイントはふたつでした。ひとつは『Push型』に舵を切れたこと、もうひとつは『戦略的パートナー』という顧客との新たな関係を切り開けたことです」

 

大島が改めて「それらについて教えてほしい」とお願いすると、浦田に代わり、笠間が誇らしげに説明を始めた。その自信に満ちた語り口調には、浦田を凌ぐ説得力があった。

 

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Push

 

あの時期、私たちには目指す方向を見いだせないでいました。自分たちのやってきたビジネスを振り返ることはできましたが、それがいったい何を意味しているのか、それすらわかりませんでした。そもそも、今回のような観点から事業のことを考えたことはありませんでした。

そんな中で、浦田さんは「Pull型」と「Push型」というシンプルな言葉で私たちの進むべき道を示してくれました。これが大きかったです。この二者択一が、私たちの目線を何十メートルも何百メートルも上へと引き上げてくれました。

 

「これまでのやり方はPull型だった」この言葉に導かれて自分たちのやってきたビジネスを振り返ると、そこには多くの発見がありました。当たり前のようにやってきたことに理由付けができたというか… これまでモヤモヤしていたものがPull型とPush 型の構図の中でスッキリと整理されました。

 

これまでのやり方では海外事業を立ち上げられないことくらい、すぐにわかりました。Pull型を捨て去ることに何のためらいもありませんでした。当初、「Push型なんて自分たちには無理なのではないか」という心配がありましたが、チャレンジを始めるとすぐに消え去りました。どうやってPush型を実現すればいいのか、その一点に頭は切り替わりました。

 

そこで気付いたのですが、私たちはこれまで、自分たちが顧客に提供している価値について考えたことがありませんでした。そればかりか、自分たちの強みについて考えたことすらありませんでした。これがどれほど異常なことだったかを、「Pull型とPush型」というシンプルな構図が気付かせてくれたのです。

 

これ以降は、Push型を前提に議論してきました。今に至るまで、まったくブレていません。

 

戦略的パートナー

 

Push型を目指すことは決まりました。そのために何をどう検討すればいいのかは浦田さんが指導してくれました。そのおかげで、OBFコアチームは進め方を具体的にイメージすることができました。これは大きかったです。

そんな中、Push型を目指す上での柱がないことが、私には気になっていました。柱というか… Pull型からPush型に変えるためにはコレをやればいい」といった明確なもの… 私たちの拠り所になるものです。

自分たちの強みを明らかにし、ターゲット顧客を決め、その顧客に強みを刷り込む。頭でわかってはいても、なんかピンときていませんでした。

 

そんな時、浦田さんが「戦略的パートナー」という言葉を使いました。

最初は「戦略的ってなに?」「パートナーって誰の?」と、はてなマークだらけでした。しかし、説明を聞いていくうちに「コレだ!」と感じました。

私たちに欠けていたのはゴールのイメージだったのです。それが戦略的パートナーでした。

 

私はこれ以降、Push型を目指すのを止めました。私たちが目指したのは、戦略的パートナーになることです。そのためには、相手を決めなければならないことに気付きました。今になって考えると、それがよかった。それまでは漠然としていた「ターゲット顧客を決める」という言葉に、はっきりとした意義が生まれたのです。

私たちはターゲットをアポロマシナリーに絞りました。

 

相手に戦略的パートナーとして認められるには、私たちにしかない魅力というか、特別な存在価値みたいなのがなければなりませんでした。

私たちは現場の他のメンバーの協力をもらいながら必死に考えました。

 

私たちの強みが明確になり、それを喜んでくれるターゲット顧客が決まったとしても、この段階ではまだ片思いです。どうすれば両想いになれるのかをみんなで議論しました。すべては「戦略的パートナー」になるためでした。

 

浦田さんの話は、いつも論理的でシンプルでした。頭にス――っと入ってきました。言われてみればどれも当たり前のことなのですが、その当たり前さがよかったのです。

 

浦田さんは先を急ぎすぎず、時間をかけてじっくりと考えさせてくれました。私やコアメンバーは、腹に落ちるまで、何度も浦田さんに質問し、議論しました。

途中で「こんなことをやっている暇があるのか」と不安にもなりましたが、自分たちが腹落ちしていないものを他人が腹落ちするわけありません。ゴールのイメージが固まるまで議論し続けました。

 

これは無駄ではなかった。腹落ちしてからは、誰になんと言われようと、私たちの目指すゴールがブレることはありませんでした。

 

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大島は、興奮気味にしゃべり続ける笠間の話に、嬉しそうに耳を傾けていた。

 

海外事業を立ち上げたいと大島に声を掛けられたとき、浦田は躊躇した。自信が無かったからだ。新事業の立ち上げはそれまでにも何度か経験していたし、その中には、小野寺工業と似たケースも無くはなかった。しかしいずれも、道半ばで手を引かざるを得なかった。それが自信の無さにつながっていた。

 

浦田は今回の勝因を、心の中で「大島さんの会社への深い愛情と、事業立ち上げに向けた笠間さんの不退転の覚悟だった」と振り帰った。結局は人なのだと…

浦田は、ひと口残っていたワインを飲み干し「そろそろ帰りましょうか」と二人に声をかけた。

もう午後11時を回り、銀座の街にはさきほどまでの賑わいはなかった。

 

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