事業改革
● 結局、定着のカギを握るのは現場の当事者意識だ オファリングモデルの導入は事業運営方法の刷新を意味する。これはまさに組織を上げての大仕事なわけで、ガバナンスに難のある日本企業がこれをトップダウンで実現するのは難しい。つまり、組織の観点と現場…
l オファリングモデルを支える事業運営の仕組みを整備する オファリングモデルをうまく導入できたとしても、これを支える事業運営の仕組みが整わないままでは大きな効果は期待できない。導入手順の説明では「⑥ でき上がったすべてのオファリングモデルを重ね…
l オファリングモデルの導入にはさまざまなキーワードが存在する オファリングモデルの導入手順を足早に説明してきたが、これにビジネス上のキーワードを重ね合わせてみよう。小野寺工業の新事業立上げストーリーにはさまざまなキーワードを盛り込んだが、ほ…
l マトリックス型事業運営の悩みをオファリングモデルが解決する オファリングモデルは事業運営の基礎をなす。 意志薄弱な行動を繰り返してきた事業運営は、オファリングモデルの採用により大きな第一歩を踏み出すこととなる。オファリングモデルという背骨…
l オファリングモデルは単なるセット販売ではない オファリングモデルの説明をすると「うちでも似たようなことはやっています」という反応が返ってくることがある。詳しく聞くと、そこには「オファリングモデル≒セット販売」という勘違いがあった。 はっきり…
翌年、大島は異例の人事で代表取締役社長に就任した。高齢の前社長の交代は陰で囁かれていたが、後釜に大島を予想した者はほとんど誰もいなかった。 早朝、大島は幹部を集めて社長就任の挨拶をしたが、それは社員を叱咤し、更なる変革と成長の必要性を訴えか…
笠間たちのアプローチは功を奏した。一時は低迷した海外事業はかつての活気を取り戻し、プラス成長へと転じた。 大島は、笠間と浦田を銀座の小さなイタリアンレストランに招待した。オーナーシェフとその家族で経営するこの店は、大島の30年来の行きつけだっ…
変革活動がスタートしてから2年が過ぎようとしていた。 すべてが順調なわけではなかったが、それでも海外事業は右肩上がりの成長を続け、低迷する国内事業を支えていた。しかし、この1年は成長が鈍化し、社内での不協和音も聞こえ始めていた。 「次なる改革…
季節は夏に近づいていた。新体制が発足してすでに3ヶ月が経過していた。 笠間たちOBFコアチームの活動は、計画から計画の実行に移り、そろそろ実績につながるきっかけくらいは出てきてほしい時期に差し掛かっていた。 新組織が発足する少し前あたり、事業計…
浦田と笠間が連れ立って飲みに行くのは、これが3度目だった。1度目は、浦田が変革活動に参加して間がないころ、2度目は組織改革の方針を社長が承認したとき、そして今回が3度目だった。 「今回のような目標設定のやり方は当社では初めてです。現場に落とし込…
海外事業の立ち上げが実行に移されようとしていたころ、笠間は変革活動に明け暮れたこれまでの半年間を振り返り、その成果を経営陣に報告した。 経営陣の支持を得られたことで、笠間たちOBFコアメンバーには落ち着いて考える時間がほんの少しだけ戻ってきた…
笠間たちの目の前には課題の山が広がっていた。 消極的スタートの汎用工作機事業は後回しにするとして、欧米の大型工作機メーカー向け加工制御装置事業だけをとっても以下の課題が残っていた。 加工制御装置ベースシステムの商品企画 コスト競争力の強化 大…
役員会では投資に対する議論が交わされた。 東南アジア向けの汎用工作機の開発、東南アジアにおける汎用工作機メーカーの買収、大型工作機メーカー向けの加工制御装置ベースシステムの開発にはまとまった金額の投資が必要となる。小野寺工業にとっては、どれ…
「どうやって海外事業を立ち上げるのか」 笠間たちコアチームのメンバーは、この難題に正面から向き合うことを決めた。 その手始めに、事業方針をざっくりと固めることになった。 小野寺工業の社員たちは顧客の要求に応えるリアクティブな活動に慣れ切ってい…
小野寺工業は、ハードウェア本部、ソフトウェア本部、サービスビジネス本部という3つの本部で成り立っていた。 笠間の依頼で、各本部から2名ずつのOBF(Our bright future:小野寺工業のチャレンジを担う変革チーム)メンバーが選出されていた。浦田がコンサ…
笠間の組織構想を練り始めた。それは、海外事業推進部を社長直下に立ち上げ、各事業部内に海外専任チームを置くというものであった。海外事業の全体責任は海外事業推進部が持つが、具体的なやり方は各事業部長に任せるという。 このやり方では、海外事業への…